普通の人間は見ず知らずの他人の家に突然押し掛かけたりはしないものである。その一点で既に、苗字ナマエは常軌を逸している。あまつさえ自分が賭けで勝ったら付き合ってくれなどと言い、なんてことなさそうな顔で、負けたらなんでもすると口にできる者は絶対に一般人ではない。
黙っていればまともに見えないこともないが、視線の動きや雰囲気が普段よく顔を合わせる連中とよく似ている気がした。彼女は自営業を営み翻訳で生計を立てていると言うが、仮にそれが真実ならば別の顔もあるのだろう。
何度、どんなゲームをしても勝てない。
五回負けて、交際を承諾した。負けてゴネても意に介していない様子で再戦を受けていたナマエに今のところ勝てるイメージが湧かず、屈したと言える。危ない女であることは間違いないのでいつキレだすかわからない不安があったのだ。
しかし交際が始まってみると意外に呆気ないものだった。彼女自身がまともに見えることは決してないが、まともな女と付き合っているのと大差ない。平和なものだ、と真経津や村雨が自宅を訪ねてくるまでは思っていた。
紅茶のおかわりを淹れるためキッチンに消えたナマエの後ろ姿を見送って村雨が言った。「あんなバケモノを恋人にするなんて正気を疑う。どこで見つけた」
見つけたのは俺ではなかった。苗字ナマエはある日突然家にやってきたのだ。見つけたとするならナマエの方だ。
改めて考えると妙な話ではある。妙、というか、最初から恐怖映画さながらのエピソードではあるが、慣れとは恐ろしいもので、最近はあまり気にならなくなってしまっていた。
「ナマエっていつ獅子神さんと運命の出会いをしたの?」
ティーポットを手に戻って来たナマエに真経津が訊ねた。ナマエはそれぞれのカップに紅茶を注ぎ入れながら言う。
「運命は生まれたときから決まっているでしょ?」
「なら獅子神より以前に付き合っていた王子さまたちはなんなんだ。本物が現れるまでのつなぎか?」
「村雨さんって意地悪だよね。この人が運命の王子さまだ! と思ったら偽物だった、ってだけだし。私は詐欺にあったの」
それは果たして騙されたと言えるのだろうか。ナマエのレーダーが壊れている可能性に思い至りぞっとする。それから俺はつい訊いていた。
「どうやって真贋を判別するんだ?」
振り返ったナマエの瞳からは直前まで楽しげにはしゃいでいた気配は消えていた。
ナマエには確固たる意志がある。気まぐれで物事を決めたりはしないので、過去の王子さまたちと別れるきっかけはあった筈だ。
俺はいったい何を言ったら、何をしたら偽物の烙印を押されることになるのだろう。
「王子さまがお姫さまを傷つけるようなことをしていいと思う?」
「我慢強さが必要というのは確かにそうだろうな」
村雨がつぶやくと、ナマエは間を置かずに言った。
「私は寛容だと思うけど。誠実であってくれたらいい」
それは本気とも嘘とも言い難い言葉だった。
誠実さを望んでいるのは真実だろうが、偽物と判断される要素が浮気しかないとは思えない。確かに交友関係には寛容だが、おそらくは別の物差しも持っている。
俺は時々感じることがあった。ナマエにチェックされている、と。日常生活のあらゆる場面で。隠そうともせず、見ている。隠そうと思えば隠せるくせに、観察していることに気づいているのか確かめているのかも知れなかった。
それが彼女の元来の性格によるものなのか、はたまた裏切りにあい続けていると感じているせいなのかまではわからない。ひとつ言えるのはこちらにできることはないので気にせず過ごすしかないということだけだ。
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