01
イルミのどこが好きなのかと聞かれても、好きで付き合っているわけではないからよくわからないというのが正直なところだ。でも正直に言ったらキルアはがっかりするだろうし、キルアをがっかりさせたことをイルミに知られたらまた面倒なことになりかねない。とりあえず「強いとこ」と答えるとキルアはあからさまにつまらなさそうな表情を浮かべた。輪ジミの上でストローが入っていた紙製の袋をふやかす姿が私をいたたまれなくする。
「……それと顔かな」
「本当は? 他になんかあるんだろ?」
「他、かぁ……」
「じゃあやっぱり恋人ってのが嘘なんだ」
「やっぱりって何。恋人ですよ」
一応、肩書は。
「じゃあ、そうだな……優しいところ、でどう?」
「優しいぃ? 二人きりだと優しいってこと?」
「キルアにも優しいでしょう」
不満そうなキルアを横目に、学生が捌けたあとのドリンクバーでオレンジジュースを注いで席に戻った。もうこの話はいいだろう。掘り下げられても困る。
実際のところイルミが何を考えているのかはよくわからないのだ。半ば強制的に恋人の肩書を押しつけられたが、それも恋情由来のものなのかは判然としない。支配欲の表れである気もする。
「ナマエがアニキ捕まえといてくれてれば安心だからさー。優しくしてもらってるならいいんだけど」
「それ、イルミに言ったら駄目だからね」
オレンジジュースを半分ほど飲んで、ため息をつく。可愛い弟にそんなことを言われてみろ。イルミが本気にすることは目に見えている。
「結婚する気ないの」
「わぁ、やな質問」
「アニキはナマエに結婚したいって言われたらオッケーしそうじゃね?」
「あー……まあ、それはわかる」
「だろ? つまりナマエ次第ってことだよ。俺はナマエなら歓迎だから」
キルアの言っていることは正しい。が、そんな自ら地獄へ飛び込むような真似は絶対にしない。
しかし私がしなくても、もしイルミが結婚したいだなんて言い出したら私には断ることができないだろう。間違ってもその答えにだけは辿り着いてほしくないものだ。
02
「母さんが」まで聞いて、嫌な予感がした。
「母さんがまたナマエに会いたいって。随分気に入られたね」
「嬉しくない」
「どうして? 嫌われたかったの」
「そうじゃなくて……」
何から突っ込めばいいのかわからない。そもそもキキョウさんたちは留守にしていると言うからゾルディック家まで荷物を届けに行ってあげたのに嫌がらせだろう、どう考えても。荷物はミルキに預けてすぐにでも帰れば良かったと何度悔いたことか。
「もう別れよう」
「は?」
「これ以上面倒なことになる前に終わっておこうよ。今ならまだ別れたって言っても残念ね、くらいで済むでしょ」
「済む訳ないだろ。結婚の話までしちゃったんだから」
「……なんて?」
「だからー、結婚を考えてるのかって訊かれて、ナマエとならいいかもって答えたんだよ」
なぜ軽々しくそんなことを言ったのだろう、この男は。頭がくらくらしてくる。ふらつく足でホームに飛び込み姿を消してしまいたい。数パーセントの可能性でも逃げ切る自信があったら今すぐに逃亡していたが、ちらと盗み見たイルミの様子から察するにこのままでは執念で追ってくるだろう。
ゾルディック家の嫁なんて普通の人間に務まるものではないのだから、いつかは誰かと結婚するつもりだったなら最初からその筋の女を見繕っておくべきだったのだ。今さら文句を言っても遅いのはわかっているが黙ってはいられない。
別に私である必要はない筈なのだ。成り行きでそういう話になって、改めて候補者を吟味するのは億劫に感じたから、じゃあナマエでいいかと結論づけたに違いないのである。
「許婚とかいないの? お見合いすれば?」
「そういうの、訊くなら最初に訊くんだよ。って言うか今どき許婚? 漫画の読み過ぎじゃない? 世間知らずはこれだから……」
「その世間から大きく外れたところにあなたの実家は存在してるんだよね」
急行列車が勢いよくホームを横切って行く。風に煽られて、イルミの長い髪が乱れていた。さながらホラー映画のようだ。怒りに燃えるイルミの瞳は決して私の姿を捉えて離さない。
「どうしても別れたいならさ。俺のこと弄んだ責任取ってよ」
被害者はこっちだと言い返したら、人気がないのをいいことに喉輪をキメてくる人間といったい誰が結婚したいと思うのか。結婚したい人がいるなら是非とも引き取ってもらいたい。
03
誰の入れ知恵なのだろう。真っ先に頭に浮かんだのはヒソカの顔だが、イルミがヒソカの助言に従ってこんなことをしているとは考え難い。キキョウさん? キルアか? キルアの考えた作戦なのだとしたらまだ救いはありそうだけど、もしもイルミがひとりで考えたのだとしたら最悪だ。
高級レストランでの食事に、とんでもなく大きな石が嵌め込まれた指輪。ただのプレゼントだからとイルミは言うが、どう見たってただのプレゼントではない。これを冗談はやめてと突っぱねたら……考えるだけで恐ろしい。
「いろいろ考えたんだよ」
「何の話?」
「どうしてナマエは結婚に乗り気じゃないのかって」
「ああ、うん」
デザートに出てきた柚子シャーベットを口に運びながらさり気なくイルミから視線を逸らす。
「確かにナマエは特別美人でもないし、才能もこれと言ってないし、鈍臭いし、ビビりだし、うちに嫁ぐのがプレッシャーだってことは理解したよ」
「そりゃあどうも」
そこまで理解できたなら諦めて然るべきだと思うのだが、どうも諦めたふうではない。人を下げるだけ下げたのに、それでも引く気がないとは納得がいかなかったがとりあえずデザートを食べ終えるまではと思い口は挟まずにいた。
「でも俺と結婚するなんて大したことないと思うんだよね。家はキルか継ぐんだし。結局ナマエは自由気ままな独身生活を続けたいってだけなんじゃないの?」
「いやいや、ちょっと待って」
え? 何? どうして私がいつまでも結婚に向き合えないカスみたいになっているのだろう。気づけばイルミが結婚する気になっているのもおかしい。結婚の話自体ふたりの間で出てきたものでもなし、焦って決めることもなかろうと“別れること”を先延ばしにした筈なのに結局話が戻っている。
「俺とのことは遊びだって言うんじゃないでしょ?」
「いや、だから、待って……」
テーブル同士の間隔が空いているとは言え、ごく普通のボリュームで喋るイルミの声が誰にも聞こえていないとは思えない。何人かのウェイターはいつでも要件を聞きつけられるようこちらの様子を窺っているし、このままでは大惨事に発展しかねなかった。
「私は真剣に付き合ってきたつもりだけどさ、イルミも言う通り格差があるじゃない。美形でなんでもできる優秀なイルミと平凡極まりなく取り柄も特にない私とじゃ、付き合うのは良くても結婚するってなったら釣り合わないと思わない?」
「思わないよ。引け目を感じるのはわかるけど。俺は気にしないし、自分を卑下するのはやめなって」
「……じゃあ訊くけど、イルミは何が良くて私と結婚したいわけ」
そもそも本当に、どうしても結婚したいのか? 意地になっているだけではないのか? と思っての質問だったが、予想に反してイルミは「そんなこともわからないの? 馬鹿だな」と言って鼻を鳴らした。ここまで低評価なのにわかるわけがないだろう。
「ぜんぶに決まってるだろ。ぜんぶ好きじゃなきゃナマエと結婚なんてあり得ない」
「鈍臭いとか才能ないとか散々な言いようだったくせに?」
「だから何? それと好き嫌いは関係ない」
ないことはないと思うのだが、自信満々のイルミを前に何も言えなかった。
先ほど無理やり薬指に嵌められたダイヤの指輪に視線を落とす。もはや結婚したくない言い訳が心の準備ができていないとか、そんな漠然としたものしか残っていない。
結婚相手がゾルディック家の人間だということはただのプレッシャーなどではなく、莫大な借金があって命を狙われているとか、極度のギャンブル中毒者でヤクチュウだとか、酒を飲んだらキレて暴れて手が付けられなくなるといったどう考えても結婚すべきでない理由と並列される事実だ。愛さえあれば乗り越えられると信じられるほど恋に溺れているわけでもないのに、目に見えている地獄へ飛び込むなんて恐ろしすぎる。
「俺のこと、好きだよね?」
頷けば私の未来は決まってしまう。
「好きだよね?」
目線を上げるとイルミは別れるなら責任を取れと迫ってきたときと同じ顔をしていた。頷かなかったら、私の人生は今日ここで終わりだ。