やましいきもち

4.5.25

SONO-HOSHI/小林慶二

物凄くもやもやする。空模様すら憎い。私が鬱々としているときに限って雨は上がって虹が出る。
ならば散歩でもして気を紛らわそうと公園に向かえば道中、祭りだ神輿だともみくちゃにされ、コンビニに避難すれば五千円分の商品券を籤で引き当て、気分は沈むばかりだった。
まだ悪いことが起きたと決まったわけでもないのに、こんなにも良いことが起きてしまうと、良いことと悪いことで人生のバランスを取っているように感じてしまう。やっぱり、慶二くんは浮気をしているということなのではないだろうか。
アイスを舐めながらだらだら歩く。公園へ行く気はもうすっかり失せていた。

苗字さん……?」
「あれ? 星先生!」

すれ違おうとしていた男性に声を掛けられ振り返ると、母校で国語を担当している男性教諭の姿がそこにあった。
教師から見たら教え子なんて何百人、何千人といるのに慶二くんといい、星先生といい、一生徒の名前までよく覚えているものだと感心する。

「あ、お時間大丈夫ですか? つい声を掛けてしまいましたが……」
「お気遣いありがとうございます。大丈夫です。お元気でしたか?」
「ええ。苗字さんも……いえ、あの、正直に申し上げると苗字さんのことは小林先生から伺っているのですが……」
「そうなんですか」

少し意外だった。普段の様子からするに別段隠したがっているというふうではないが積極的に誰かに話すとも思えない。慶二くんは星先生のことを信頼しているのだろう。年齢も近そうだし、仲が良いのかも知れない。
溶けかけていた残りのアイスを棒から齧り取り、数度咀嚼して飲み込む。話している最中に失礼だとは思ったが、溶けたアイスで手をびしょびしょにしながら話すよりは僅かにマシだと判断した。

「単刀直入にお訊ねしますが、小林先生って浮気してると思いますか」
「えっ、 それは……考えづらいですね」
「同僚だからですか?」
「いえ、そうではなく……。苗字さんはなぜ小林先生の浮気を疑っていらっしゃるんですか」
「先日若い女の子と歩いているところを目撃してしまったので」
「うちの生徒では?」
「そうなんだと思います。でも小林先生は……」

星先生がずれてもいない眼鏡のブリッジに指で触れる。動揺している。しかし心当たりがあったとしても星先生は憶測を口にはしないだろうから追求する気にはならない。

「困らせてしまってすみません。星先生が私のこと聞いてるっておっしゃったのでつい……。私も本気で浮気してると思ってるわけじゃないんですよ。小林先生はそんな人じゃありません。ただ、不安で」
「……大丈夫ですよ。小林先生が好きなのは苗字さんだけだと思います」

慶二くんは私が想っているほどには私のことが好きではない。当たり前だが。私の好きは慶二くんが「小林先生」だった頃から始まっていて、年季の入り方が違うし、同じくらい好きだと言われても逆に怖い。ほどほどでも好きになってもらえただけありがたいのに今さらあれこれ不安がるだけ無駄なこと。
家族を待たせていると言う星先生と別れ、私は駅の方に足を向けた。
生活圏が被っていても知り合いとは滅多に会うものではない。いや、実は私が気がついていなかっただけでこれまで何度もすれ違っていたのかも知れないが、私に気づく人は稀だと思うから、あまり変わらない気もする。
慶二くんも再会したときに印象が変わったと言っていた。高校時代の集合写真と大学に通っていた頃に撮られた数枚のスナップと今の姿を比べたらきっと全員別人みたいに見える。
もう充分過ぎるほど好きなのに、これ以上好きになったら本格的に壊れてしまうかも知れない。女子高生時代は先生が他の生徒や女性教諭と話しているところを見かけても何も感じなかった。三年という月日の中で恋人に近しい関係の人がいるような気配を感じたこともある。でもそんなことは何も問題ではなかったし、私が小林先生のことが好きなこととは関係のないことだった。
私の内側はもはや正しい位置も形もわからないほどに歪んでいた。
星先生と話してわかった。
私がもやもやしているのは慶二くんが浮気をしていたら嫌だと思っているからではない。私は心のどこかで浮気をされていても仕方がないと思っているのに決定的に自分を納得せしめる理由が見つかっていないからすっきりしないのだ。
白線の上だけを歩くようにして信号を渡る。慶二くんの優しげな眼差しを思い出す。十代の私があの目で、見詰められていたら何を思っただろう。もっともっと好きになっていたのか、それとも夢から覚めて現実に帰ることができたのか。
駅の改札にICカードを当て、ホームの電光掲示板を見上げると一分後に電車が到着するらしいことがわかった。思い返してみると、今日は一度も赤信号に捕まらなかった気がする。
もしかして、今ならなんでも思い通りになるのではないだろうか。
思い通りになるのなら、電話に出てくれないだろうかと鞄から携帯を取り出すも真っ黒な画面に映る自分と目が合った瞬間にみるみるやる気が失われた。電車到着のアナウンスが入ったから、どうせ電話はできない。
用もないのに電話を掛けたとして何も言葉にできない自分が容易に思い浮かぶ。電車は思っていたより混雑していてひといきれにかすかな眩暈を覚えた。
このくらいがちょうど良い。

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