離礁

4.5.25

MUKOUBUCHI/藤永太郎

まるで人形が座っているかのようだった。所作があまりにも静かだし、身に着けている着物はどこか時代がかっている。少女と言うには大人びているが勤め人には見えない。暇に飽いた深窓のお嬢さまだから浮世離れしているのだろうと須田は言ったが、どうもそうは思えなかった。
オタ風の南を鳴いた彼女の手元を見詰める。ひと鳴きからみるみるうちに萬子が集まってくる様に息を呑んだ。見事と言う他ない勘の良さ、運の太さだ。その鮮やかな手練にはどこか見覚えがあった。
一瞬、傀と呼ばれるある男のことを思い出したがそういうことではなく、彼女自身を知っている気がした。
どこかで会ったことがあるのだろうか。これほど印象深い女を忘れることはない気がするがどうしても思い出せない。
二回目に彼女と遭遇したとき、思い切って声を掛けてみた。同卓者にナマエと呼ばれていたから「ナマエさん」と呼ぶと、俯き加減の彼女の顔がかすかに翳ったのがわかった。彼女は返事をしなかった。

「待って」

マンションを飛び出したナマエを思わず追い掛けてしまった。
胸の奥がざわついていた。ナマエという女の暗い表情を思い返すと頭が痛む。まるで思い出してはいけない記憶を呼び起こそうとしているかのようだ。
いつの間にか、立ち止まろうとしないナマエの前に立ち塞がっている自分に気づいて自身の正気を疑った。

「きみを知っている気がするんだ。どこかで会ったことがある、と思うんだけど……」

絞り出した言葉もナンパと大差がないように思え、全身がみるみる羞恥に染まった。一体何をしているのだろう。頭は冷静さを取り戻しつつあるのに体がうまく動かない。

「いいえ。存じ上げません。人違いでしょう」
「本当に?」
「困ります」

どこか湿り気を帯びた声には着卓しているときとは明らかに違う響きがあった。
自分は明らかに拒絶されている。知り合いだろうがそうでなかろうがなんら関係のないことらしい。とにかく関わり合いたくないと、彼女は思っているのだ。
俺は大人しく道路端に寄った。
ナマエが一瞬こちらを見る。
そこには切実な願いが込められているようだった。拒絶されたからには「決して近づかないで」が正解なのだろうが、そうではない気がする。勘違いに決まっているのに、どうしても「追い掛けてきてほしい」と言っている気がしてしまう。
小走りに闇の中へ消えて行く彼女の後ろ姿を見送りながら本当にこれで良かったのか自問すると胸が苦しくなった。きっと引き留めるべきだった。追うことで不幸を背負い込むことになるとしても、そうするべきたったのだ。

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