まるで舞台上の台詞みたいだと思った。ある種嘘臭く感じるほどに情熱的な言葉はしかし、不思議なほど身の内に染み込んでゆく。

「きみのことを渇望してる。体も心も」

ひとりで住むには広すぎるマンションの一室に私の名前が吸い込まれていく様子をこの目で目の当たりにしたことはたったの一度しかないにも関わらず、御幸が今どのように体を動かして、どんな顔で愛を囁いたのか、電話越しの声からでもはっきりと想像することができた。
じわじわと目頭が熱くなって、胸が詰まる。こうして三ツ谷御幸は大衆の心を動かすのだ、といつもの冷めた目で突き放して見なければ、次の言葉を取り零してしまうところだった。

「私はそんなふうになったことない」

なんだか卑屈だ。負け惜しみにしか聞こえない。

「別にいいよ」

御幸が感じられることを私は感じられない。

「なんでそんな一方的なの?」

撮影スタジオから逃げ出した二日前の出来事が鮮明に思い出される。漠然とした敗北感は御幸に対して抱いたものではなかったのに、彼が私にないものを持っているという歴然とした事実が突如として眼前まで迫ってきた。
あの瞬間、連続して焚かれるフラッシュの中で、私は自分で自分にかけた魔法が解ける音を聞いた。気に入っていたバカラグラスが割れたときの音に似ていた。

ナマエはよくどうしてとかなんでって言うけど、すべてに答えがあるわけじゃないでしょ。僕はナマエを好きなことに理由は要らないと思う。と言うか、理由ならいくらでも思いつくけど、それは好きで好きで堪らないって気持ちを説明してるだけ」

説明しようかと提案されて、私は即座に却下した。どれほど真摯に説明されても御幸の言葉を素直に受け止められるだけの容量が足りない。空虚なようでいて、体の中は黒々とした澱に満たされている。重たくてどこまでも沈んでいってしまいそう。息をしようともがけばもがくほど溺れていくようで一気に不安感が押し寄せてきた。
今の私は少しおかしい。でも、苗字ナマエは元から馬鹿で、騙されやすくて、涙もろくて、自分に自信がなくて、他人の目もすごく気になるし、喋るのも、愛想笑いをするのも苦手だ。

「帰っておいでよ」
「……合わせる顔がない」
「誰に? いつもの顔じゃ駄目なの?」
「これ以上駄目な奴だと思われたくない」
「駄目だろうがそれもナマエだし、僕はきみの思う駄目なナマエも好きだよ」

携帯を握る手に力が入る。

「すごく会いたい。僕のところに帰ってきて」

思わずうん、と言ってしまいそうだった。もはや家族にすら晒せない自分を知っている男の元に帰りたいと思うのは不可抗力だろう。
私だって御幸に会いたい。
下唇を噛み、マフラーに顔を埋める。防波堤から体を引き剥がし、歩き始める。ついに何も言えなくなって終話ボタンを押してしまった。
何をやっているのだろう。マネージャーに連絡する前に御幸と電話なんてして。
マネージャーも大概一方的な男で、私がスタジオを逃げ出した数時間後には『盲腸ってことにしてあるから三日後までに帰ってきて!』とだけチャットを寄越したっきりだった。ポスター撮影は延期、雑誌インタビューも、ドラマの顔合わせも……。何も言ってこないけれど、どれも彼がなんとかしてくれたのだと思う。
いい加減にしないと、でも、頭はぐちゃぐちゃのままだった。
足は自然とコンビニの方へ向かう。普段我慢しているものを飲んで、食べて、そうしたら案外どうにかなるかも知れない。
片田舎にぽつんと建てられたコンビニの灯りが涙で歪む。駐車場に停まっている車には見覚えがあった。中から人が降りてくる気配はなく、その場に固まっているとコートのポケットの中で携帯が震え始めた。私は恐る恐る携帯を耳にあて、電源ボタンを押す。

「迎えに来ました」
「それは、ご苦労さまです」
「帰りますよね?」
「……………………はい」

声が出なかっただけで、迷ったわけではない。
そう、結局帰るしか選択肢はないのだ。どうにかなるにしても、ならないにしても。
私は御幸の友人が運転する車の助手席に乗り込み手早くシートベルトを締める。

「着替えなんかはご実家ですか」
「いえ、手ぶらで来たので。今すぐ出発してください」
「わかりました」

財布と携帯だけを持ち実家に帰省した際、両親は呆れ、妹は爆笑していた。
とりあえず妹には東京へ帰る旨を連絡する。少し前までは何もかも先延ばしにしたかったし、すべてを放り出してしまえないかとまで考えていたのに驚くほどスムーズに行動できる。涙もすっかり引いて、おそらく態度だけはいつもの私に戻っていた。

「私、盲腸だったんです」
「それは大変でしたね。調子はどうですか?」
「もう平気です」

盲腸が収まっているらしい右下腹部を撫で、なったこともない盲腸の痛みを想像する。本当に腹部が痛い気がしてきて思わず笑ってしまいそうだった。

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