何にも染まらず

24.8.24

OTHER/御剣怜侍

背後の物音と、怜侍くんの困惑の声によって私が玄関でうじうじしている間に寝落ちたことを理解した。さっさとベッドに潜りこめば良かったものを。怜侍くんに見られたらどうなるか、酔っ払っていたせいで一瞬でも考えられなかったようだ。

ナマエナマエ。聞こえるか」
「はい……。ごめんなさい。寝てました」
「倒れたわけじゃないんだな?」
「寝てしまっただけです、本当にすみません。私のことは踏んづけて入ってください」
「馬鹿を言うな。酔っ払って帰るなんてよっぽどだろう。負けたのか?」
「いや……勝った、けど……」

離婚調停で話がまとまらず、裁判にもつれ込んだ時点でこうなることは当然予想できていた。勝っても負けても地獄。泥沼だ。自分自身が傷つけられることも織り込み済みの筈だった。それくらいの覚悟がなければ離婚弁護など務まらない。

「ひ……」
「ひ?」
「人の心がないって……悪魔だって言われた……。依頼人に……」
「珍しいことではない」

怜侍くんが私の脇の下に腕を差し込み、フローリングからゆっくり引き剥がす。無理やり立たせられてしまったが、後ろから拘束されていなければすぐさま膝から崩れ落ちそうだった。
確かに血も涙もないだとか、冷酷だとか言われることは日常茶飯事だが、自分の依頼人から言われると傷ついていないふりをするのもひと苦労だ。頭ではわかっていても簡単に割り切れるものではない。

「親権が欲しいって言ったのも、慰謝料が欲しいって言ったのも彼で、私は利益のために…………」
「私はナマエがその依頼人の言うような人間ではないことをよく知っている」
「私も知ってるけどぉ……」
「仕事をしただけだ。依頼人はナマエが勝ち取った金も権利も受け取ったんだろう? 八つ当たりでしかない。気に病むな」

彼は相手の弁護士から些細な落ち度をこれでもかと批難され、自分の妻に当たるわけにもいかないから私を詰ったのだ。反撃するためとはいえかつて愛した人を貶めた人間に怒りを感じるのは無理からぬことだった。しかし私の忠告には耳を傾けず、鼻息を荒くして相手をやり込めようとしていたのに、判決後「和解したかった」と泣かれては気持ちのやり場がない。私だって人間だ。

「今日はもう寝ろ。ベッドまで歩けるか?」
「抱っこして」
「ほら」

怜侍くんの首に腕を回すと膝裏を抱えられ体が宙に浮く。かすかな汗のにおいとスーツ越しの体温に安心して急に疲労感が押し寄せてきた。
疲れて帰ってきたら玄関に酔っ払ってぐちゃぐちゃになった人間が転がっていて、世話をさせられている彼の気持ちを思うと申し訳なさでいっぱいになる。
「ごめんなさい」と言うと怜侍くんは困ったように眉尻を下げてこめかみにキスをしてくれた。どこまでも甘い。でもそれがひどく心地良い。

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