とんでもないしつこさと、都合の悪いときにだけ発揮される鈍感力、私を呼び出すために五条悟をパシらせることができる面の皮の厚さ。
恵の持つ才能に改めて舌を巻く。彼は立ち回りが小器用で上手く、よく今まで折れずに恵と向き合ってこられたなと自分に感心してしまうほどだった。
耐えてこられたのは、決して私の遵法意識が高いとか、頑固だとか特別な理由があったからではなかった。私は気持ちの良いことに流されやすい自覚があるし、自分のことが大好きだ。自分さえ良ければとまでは言わないけれど似たようなことは考えていて、他人を慮るなんてらしくないと思う。
現実は、ただ偶々恵が顔見知りに似ていて、道を踏み外すタイミングを失したに過ぎない。
「生徒から生徒指導室に呼び出されるなんて変な気分です」
声に反応して顔を上げた恵は、私の軽口ににこりともせず「どうぞ」と自分の対面のソファへ手のひらを向けた。生徒指導室はエアコンが壊れていると聞いて来たが、思っていたほど暑くはない。玄関に置いてある自動販売機で購入したペットボトルのお茶を一本恵に手渡して、ソファに腰掛ける。恵は開けっぱなしになっている扉を一瞥しただけで閉めろとは言わなかった。
「手紙じゃ埒が空かないので直接言うことにしました」
「思い留まってくれませんかね」
「俺、ナマエさんが好きです。付き合ってください」
一切の躊躇がない。適当なことを言って誤魔化すつもりでいたのに、私の優しさを全力で拒否するつもりらしい。
ここで白黒はっきりさせても呪術師である以上私たちの関係は続いてゆく。たとえどれだけ気まずくなっても、顔を合わせて、言葉を交わして、仕事をしなければいけない。私情は挟まないと口ではいくらでも言えるけれど、大抵の人間は機微まで完璧にコントロールできないし、補って余りある才能は都合よくそこら辺に転がっているわけもない。
私はごく普通の人間だ。傷つけられたら傷つく。何をどうぶつけても平然としていられる化け物と同じにされるのは心外だ。
「恵くんは私を犯罪者にしたいんですか? 呪術師に変わり者が多いのは確かですが、私は結構まともな方ですよ」
「別に今さらでしょ。あとまともな人は不倫なんてしないんじゃないですか」
蝉の鳴き声が急に大きくなった気がした。
不倫相手と、見たこともないその配偶者の存在と、彼と出会ってから出掛けたあらゆる場所のことに思いを巡らす。
「まともな人間だって不倫くらいしちゃうこともありますよ」
喉元まで出かかった言葉を飲み込み、より意識して笑顔を作った。口にしてしまったらそれこそまともではないと言っているようなものだ。どこにも罪悪感が見つからなかった恋は、世間一般の倫理観に照らし合わせてみればやはり間違っている。
「不倫経験があったとして未成年とお付き合いするかどうかとは別問題です」
「否定しないんですね」
「事実ですから」
「言い訳もしないんですか」
「言い訳? なんで?」
「なんでって……騙されてただけですよね」
確かに、私は彼が既婚者だとは知らなかった。でも事実は覆らないし、もし知っていても自分がどうしていたかはわからない。絶対に受け入れなかったと言い切れるほどの何かはなかった。
挑むような眼差しが逆に恵の幼さを際立たせる。
彼は意地になっているだけなのではないだろうか。
「五条さんから聞いたんだとしたら、それって恵くんを傷つけないための嘘なんじゃないですか?」
「傷つけたくないなら惚ければ済む話だ」
「じゃあ諦めさせたかったのかも。私みたいなのは恵くんに相応しくないから」
「相応しいとか相応しくないとか……」
「人間性云々はともかく、少なくとも恵くんは子どもですし」
「じゃあ待っててくださいよ」
そこまで我慢強い人間だったら私は今ここにいないだろう。恵から届く手紙にだって、もう少し誠意のある対応を取っていておかしくない。
恵はおそらく私のことを勘違いしているのだ。やんわりとした拒絶を思いやりだと思っているか、あるいは恵に対して好意はあるが、歳の差が邪魔をしているから応えられず曖昧な態度を取り続けているのだと思っている。
待っていると言ってやればあと数年の猶予が生まれるけれど、そこまでする義理も必要性も思いつかなかった。
「恵くんって私のこと美化してますよね」
「してません」
ソファに深く腰掛け直し窓の外に視線を投げる。
「ありのままのナマエさんが好きです」
「ありのままなんてそんな馬鹿な話はありません」
「俺は、あなたの魂を愛してる。俺のことを子どもだと言うならもうそれでいいです。でも気の迷いみたいに言うのはやめてください。ちゃんとわかってるんですよ、ナマエさんに一番効果的なのは既成事実を作ることだって」
「じゃあ、試してみたらどうですか? それで私が本当に責任を感じるのかどうか」
冷静になって考えれば、そんなリスクを負うだけ損であることは誰にだってわかる。夏の熱気にのぼせているだけだと自分を納得させる方がはるかに容易いのに、頑張ろうとするのはやめてもらいたいものだ。
「私は恵くんのこと好きじゃないです」
「知ってます」
恵の声は淡々としていて、強がっているようにも見えなかった。恵は半ば呆れまじりにもう一度知っていると繰り返す。
では私に何を求めているのかと問おうとしてやめる。
胸ポケットに入れていた携帯が着信していた。誰から呼び出されているのかは見なくとも大体予想がつく。たかを括って高専内で恵と会ったことを後悔した。無責任ながら恵の青春時代が明るいものであるように願う私が馬鹿みたいだ。彼の周りには碌な大人がいない。
ソファから立ち上がり恵を見下ろす。額から汗が伝い落ちてくる。胸の中の澱んだ空気を吐き出して、不満を抑えつけた。
私が入ってきた扉。窓。
窓。
駆け寄って、窓枠に足を掛ける。スカートが風で靡く。
「逃げるんですか」
「当然逃げますよ。一対一ならともかく。恵くんにはプライドってもんがないんですか?」
「そんなものに拘ってたら一生相手にしてくれないでしょ」
返事はせずに窓枠から飛び降りる。
相手にされない人生を選んでいた方がいくらかマシだったのではないだろうか。
私は一度も振り返ることなく一目散に学校の敷地から出た。出られたということは見逃されたということだ。携帯も鳴り止んでいる。
汗だくになりながら当て所もなく歩いていると虚しさに胸を押し上げられて急に足が動かなくなった。
私の気持ちを知っていてなお我を通そうとする根性はいかにも呪術師という感じだ。
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JUJUTSU/伏黒 恵
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