目撃者

27.4.24

WORLD TRIGGER/諏訪洸太郎

歩道橋の階段から転がり落ちそうになった私を諏訪くんが助けてくれたことが偶然ではなかったと知ったとき、正直なところ少しがっかりした。偶然に運命を感じて恋に落ちた自分が馬鹿みたいに思えたから。
善行を積んでいればいつの日か良いことがあると信じていた。その瞬間から運が向いて人生が変わるのだ、と私は割と真面目に信じていたのだ。
でも、というか、やっぱりというか、人生はそこまで甘くない。諏訪くんはとても親切で、優しくて、かっこよかったけれど、私の生活に劇的な影響を与えたわけではなかった。諏訪くんと接する機会が増え、親しくなっても私の怪我が減ることはなかった。
高校生でいる間に諏訪くんから怪我について触れられた記憶はない。彼が怪我に気をつけろとか前を向いて歩けとか足元に縁石がと言い出して、階段を下るときに手すりを掴ませるようになったのは大学に進学してからだ。諏訪くんは、どうにか私の怪我を未然に防ごうと躍起だった。
できれば私も諏訪くんの意向を汲みたかった。痛い思いをしたいというわけではないし、大好きな諏訪くんを思い煩わせることは忍びないではないか。
だが結論から言えば怪我をなくすということはかなりの難題であり、私としては諦めたくなるレベルの目標だった。もはやちょっと意識したくらいで治る癖ではなくなっていたのだ。
勘違いされることがあるが私は別に運動神経がすこぶる悪いというわけではない。並み、あるいは標準より優れているくらいだと思う。体育の成績だって良かったし、ボーダーでの仕事に苦労を感じたことは一度としてなかった。転んだりぶつかったりは元々わざとやっていたことなのである。

「諏訪くん、そんなに見詰められたら穴が空いちゃう」
「お前昨日の帰り、駅の階段から落ちたんだってな」
「あっ、えっと、うん」
「うん、じゃねえだろ」
「はい」
「……ひとりで帰した俺が悪かったよ」
「まあ、それはそうかも」
「調子に乗んな」

こういうとき、ついへらへら笑ってしまう。諏訪くんは怒らないが良くないことだとは理解している。彼はこの件について私以上に真剣なのだ。
極端な話、諏訪くんは私がうっかり死ぬと思っている節がある。さすがにないと言いたいが階段から落ちるにしたって打ちどころが悪かったら死ぬわけで、保証はできない。いや、私の気持ちを横に置いておくと結構ありそうな話だ。
私は軒先から少しだけ顔を出して雨の強さを確かめた。もしひとりだったら走って帰っているであろう程度の雨脚だった。雨予報は出ていなかった筈なのに諏訪くんは傘を持っているらしいことが窺い知れる。なぜいつまでも傘を出さないのかと言えばもちろん、駅で解散するとき私に傘を貸したくないからだ。以前、傘を差したまま強風に煽られて引きずられ、倒れていた自転車に躓き、私が結構な打撲と擦り傷を負ったことを諏訪くんは覚えている。風の強い日は毎回のようにそのときの話をしてくるくらい諏訪くんにとっては苦々しい思い出なのである。
図書館から出てきた女生徒二人が私たちの横をすり抜けて雨の中を駆けて行く。
「私たちも走る?」と訊くと諏訪くんはかなり嫌そうな表情を浮かべて「いや、傘はあるから入れ」とバッグから紺色の折りたたみ傘を取り出した。開かれた傘は想像していたより大きい。

「手つないでもいい?」
「そうしてもらえると俺も安心だ」
「同級生にいろいろ言われるの迷惑してない?」
「迷惑だと思ってたら面倒見てねーよ。そんなこと気にするな」
「んー……」

自分のことならどうでもいいけど。
そう言い掛けたものの諏訪くんに手を強く握られ思いとどまった。
諏訪くんはすべて納得尽くなのだ。慣れたから平気なのではなくて、冷やかしを受けたり、私のことで周囲を心配させたりすることを承知で助けてくれているのである。
申し訳なさは感じている。でも私は諏訪くんの幸せを思って彼を突き放すことはできない。何より諏訪くんが好きなのに、そんなことできるわけがない。

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