誰か助けてくださいと天に願った。あまりの寒さで肺まで凍てつきそうな空気を少しずつ吸ったり吐いたりしながらどうにかこうにか仰向けに横たわる。視界の隅で故郷の村が竜巻に飲まれようとしているのが見えていた。今は夜中だ。あれは急にきた。きっと誰も逃げられないだろう。
私に罰を与えてバチに当たるとはなんとも情けない話ではないか?
世界の終わりなんてこんなものなのか。粗暴で、野卑で、下劣極まりない世界も自然現象相手には手も足もでない。なんて、くだらない。
私は喜びより悔しさと悲しみを感じていた。私は長い苦しみの中、今日まで生き長らえてきたというのに、村の連中は「暴力にさらされ続けるより死んだ方がマシ」などと一度として考えることもなく本当に死ぬのだ。
しかし、もしあの竜巻をやり過ごすことができたとして、もし、誰かが生き残ったら私のことを恨むのだろうか。私のせいだと言うのだろうな。泣きたい気分だ。もう少しここが暖かかったら泣いていた。いや、そう思った次の瞬間どこか懐かしい風が吹き、かすかなあたたかさに包まれた。私は涙を出そうと瞬きをするが、何かの気配がして、涙が引いていった。
「嗚呼、ナマエ。宵闇に封じられし汝の力、今こそ解き放つときだ」
「…………誰」
「まさか忘れたのか!? 俺だよ! 俺!グリームニル」
「……知らない」
「嘘だろ!? 酷い!」
逆さまから突然私の顔を覗き込んできたのが人間でないことはすぐにわかった。魔物……星晶獣か。私たちはどうやら会ったことがあるらしいけれどまったく覚えていない。酷いと言われても思い出せない。
「どうして、今?」
「助けてって聞こえたから。呼ぶまで来るなと言った……のも覚えてないわけか。薄情な奴め。しかし、それが気に入っている」
「……気持ち悪い」
「なんだよぉ。ナマエは忘れたみたいだけど、俺たち契約してるんだぞ。軍神の力を借りられるんだ。誇るべきことだぞ」
「私は死ぬ」
「いやいやいや、俺が来たから死なないよ!? なんで死のうとするんだよ。村をどうにかしたいんだろ? とりあえずそれを先にやろう」
私は眠気に身を委ね、彼の言葉を無視した。どうでもいい。疲れた。
泣くことを邪魔されすべてがどうでもよくなった。わぁわぁと何事かを喚く声がする。それがだんだんと遠くなる。
***
「ナマエ」
目が覚めたとき、グリームニルは私のからだをしっかりと抱いていた。私はめちゃくちゃに暴れてベッドから飛び降りる。グリームニルが眉尻を下げて「痛いだろ」と言った。
部屋を見回す。ここは痛みの世界ではない。グリームニルに連れられてやってきたのはとある騎空団の艇で、かれこれ一週間ほど世話になっていた。
「ラカムはティアマトと寝たりしないって言ってた。契約とか関係ないって」
「へ? え、えっ、ナマエから話しかけてくるなんて珍しいな!? おはよう!」
「……騙された」
「ナマエが魘されてるから助けてやりたかったんだよ」
グリームニルはぽかんとしていた。心臓の音を聞くと落ち着くのだろう、と。彼はそれを私から教わったらしい。
私は幼い頃頭がぱっくり割れるほどの傷を負ったことがある。日常的に暴力を受けていたが、大抵の人間は折檻そのものより折檻されて泣く私の姿を愉しんでいた。だから大怪我をさせるなどあってはならないことだったのに、女は暴力の手を止められず、私は一時的な記憶喪失に陥った。一部戻らない記憶もあった。例えばその女が誰だったのか私は覚えていない。
グリームニルのことも同じように私の中から失われたのかも知れないと思う。
私はベッドの端に座り直してグリームニルを見詰めた。「今日も愛してる」という言葉が寒くて仕方がなかった。毎日飽きもせず繰り返される「愛してる」。永遠に私を愛すると宣言するグリームニルには呆れるばかりだ。
「嘘吐き」
「本当だ。これが恒久の愛」
グリームニルは部屋の窓を開け、風を取り込む。間近に迫る春の匂いが混じった風だった。私は今どんどん故郷から遠ざかっている。愛とやらのせいで私の人生が損なわれていた。私が生きた証はあそこにしかないのに。
でも、それはおかしな考えなのだろう。私の境遇を聞いたラカムやオイゲンはここで楽しい思い出を作れと言った。団長やルリアは悲しそうな顔をしていた。優しい人たちだと思う。
「グリームニル」
グリームニルは村がその後どうなったのか教えてくれない。私が訊ねないからなのか、まるでそんなことはなかったかのように振る舞っている。
私の気持ちを汲み取って現れたのなら、助けてくれた筈。もしも見捨てたと言うなら私にグリームニルは必要ない。私の命を救うこと自体に意味はないのだ。
「そんな顔をするな。ぜんぶナマエの思い通りになってる。だから俺の言うことを聞いてほしい。もし何を見ても何をしても考えが変わらなかったらちゃんと手伝うから。死なないでくれよ」
「ここじゃ死ねないよ」
私を苦しめた人たちを死ぬよりつらいめにあわせたいという気持ちをグリームニルは本当に理解しているのか疑問だ。人間は忘却できる生き物だとグリームニルは言うが、そんなことは私自身よくわかっている。忘れた方が幸せなのか、それこそが問題なのだ。
私は死なない。彼の温もりに包まれている間は。
懇願が愛ならば私は応えようと思っている。愛は対価を求めないというのが持論だから。
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