エレベーターの扉が開くと同時に暗闇の気配がひっそりと忍び込んでくる。深夜のロビーに人影はない。ケージ内の照明とノルンが発する仄かな明かりを頼って足を踏み出すと思いの外、音が響いた。さらにもう一歩進んだところで背後の扉が閉ざされる。
眠れない夜はこうしてロビーにやってくることが多かった。人気のない静まりきったロビーは自室よりも居心地が良い。仕事を進める内に、迷いや憂鬱が頭の中心から散っていき、煩いから解放されるだなんて一石二鳥である。
私は手早く腕輪を認証させ、個人のデータベースを呼び出す。まずは遠征任務中に溜まっていたメールの確認。返信はしない。ひとまず緊急性の高いメッセージがないことに安心した。以前よりは確認作業に気を遣っているけれど、それでももっと小まめにチェックせよと言われるので、他人からは未だ不十分だと思われているのだろう。私以外の神機使いは、あるいは、極東支部に所属する人間は、いったいどのくらいの頻度でメールをチェックしているのだろうか。
メールボックスを閉じ、今度は支部内の個人情報にアクセスする。留守中の更新はなし。まあ、頻繁に更新がかかるものでもない。
あとは新しく発見されたアラガミのデータを読み込んで、属性弾のレシピでも練ろう。試射は午後の任務に出る前にすることに決め、バレットエディットを開きかけたそのときだ。
私の鼻は器用にもその匂いだけを嗅ぎ取った。
勢いよく振り返る。ノルンから離れ、柵の上に身を乗り出し階下を覗き込む。誰もいない。昼間の残り香にしてははっきりと存在を感じたのだが。
気のせい、ではないと思う。
そうだ。すっかり忘れていたけれどラウンジ。施工の終わったラウンジが、つい先日開放されたばかりだ。もう自由に出入りできるのだ。昼夜問わず、誰でも。
私は柵から身を離してラウンジへと続く扉を見つめる。不安が寒気となって、すっと背中を撫で上げた。
そこから出てきた人は今最も会いたくない人物だった。否。今に限らず、雨宮リンドウと会いたいとは思わない。というのが正直なところだ。いつだって、できうる限り、避けたい接触。
「おっ、ナマエじゃねえか」私に気づいた雨宮リンドウが言う。「こんな時間にどうした?」私の気持ちなんて知る由もなく、彼は静かに近づいてくる。
「眠れなかったので、ちょっと……仕事を」
「お前は相変わらずだな」
苦笑を浮かべた雨宮リンドウは私の前を通り過ぎ、どかりとソファに腰掛けた。これは実に嫌な流れだ。逃げそびれてしまった。
「まだ戻るつもりないんだろ? たまには俺の相手もしてくれよ」私は指し示された席に目をやる。「いいえ、戻ります」と言えたらどんなに良いか。自然と従ってしまう自分が憎たらしい。私はいつになったら彼の言葉を拒絶できるのだろう。
不意に斜めの紫煙が眼前を横切る。この人は私が大の嫌煙家であることを知らない。
「話すの久しぶりだなぁ。調子はどうだ」
「いつも通りですよ。リンドウさんこそどうですか、うまくやってますか」
「なんだよ、うまくやってますか、って。まあ言いたいことはわかるけどな。うまくやってるからタイミング良く帰ってこれたわけだ」
私はソファに座り直すふりをしてしばし視線を外した。明日は、いやすでに今日か。今日は、雨宮リンドウにとって特別な日だ。愛する人の誕生日。当日に祝えて、良かったですね。心にもない言葉がすらすらと出てくる。「ああ、本当に。みんなに感謝しないとだな」雨宮リンドウが笑った。
「慕われてますね」今、私は自然に笑えているだろうか。
「お前は話を逸らすのがうまいな」彼の方をちらりと見やる。静かに表情を歪ませて雨宮リンドウは煙を吐き出した。「ナマエの話を聞かせてくれないか」
今さら私の話をしたってどうしようもないのだと知っているのは私だけだが、それで充分だった。話したところで、どうせこの人は私を傷つけたりしない。思いっきり傷をつけてくれると言うなら話す気にもなるが無理だろう。その気になればいつだって暴けた筈の私の気持ちをのらりくらりと躱し、気づいているんだかいないんだかもわからなくするような態度を取り続けてきたのだ。それが優しさだと思っている。実際、優しい人だもの。何もかもが虚しい。
「昨日はコンゴウの群れを新人と片付けに行って……そうだ、最近は新人教育に力を入れてますよ。私も指導する立場になったんだと思うとなんだか、自分の新人時代が懐かしいですね」
あなたについて初めてゲートをくぐった日のこととか、初めて大型アラガミをひとりで倒し褒めもらったこととか。新人に戦い方のコツなど訊かれ答えている際、自分もこんなふうに教わった気がする、と記憶を探ってみたり。
自分で自分を傷つけようとしても思い出は美し過ぎて、私を柔らかく包み込む。恋しさに胸を引き絞られはするが涙は出なかった。
雨宮リンドウが灰皿に煙草を押しつける。私はそのタイミングを見計らって立ち上がった。「やっぱり寝ます」
明日も早いから。そう告げると雨宮リンドウは鷹揚に頷き「がんばれよ」そう言う。何をがんばったら良いのか私にはよくわからない。がんばるための目的はとっくの昔に失ってしまった。以来、新たな目的を見つけることもできずにいる。
私がエレベーターに乗り込んでも雨宮リンドウはソファに座ったままだった。声をかけようかと思ったがその前に手を振られ口を噤む。
ラウンジから出てきたときは部屋に戻ろうとしていたくせに。
私は軽く頭を下げ、回数パネルを強く押した。
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GOD EATER/雨宮リンドウ
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