共通
酒が入っていたとはいえ、その疑問を口にできたのはパーシヴァルだけだった。
「結局のところ、お前はジークフリートとどうなりたいんだ」
ナマエの手が一瞬とまり、隣に座るパーシヴァルへと視線が向けられる。ナマエは事も無げに言った。「どうとも」
「いつまであいつの手伝いを続けるつもりなんだ? それでお前は報われるのか」
「したいことをしてるだけだし、報われるもなにもないよ」
ヴェインはそのとき初めてまずいことになったと思った。きっかけを作ったのは自分だ。純粋にジークフリートのことを知りたいと、自分の知らない、騎士団長ではなかった頃のジークフリートについて訊ねただけのつもりだったのにまさかこんな展開になろうとは。
ナマエの言うことを鵜呑みにしていいものかは迷うが、彼女の話し方や口調からは嘘や誇張を感じ取れない。ランスロットは少し困惑の表情を浮かべていたものの、やはりナマエが嘘をついているとは考えていない様子で話を聞いていたし怒るようなことではない筈だった。ジークフリートとナマエの関係は二人にしかわからない部分が多いと思う。暗黙の了解だとか、二人だけのルールが数多く存在していて、且つ、それらが複雑に絡み合っているような雰囲気は初めてナマエを紹介されたときからあった。自分には到底踏み込めない。思いを巡らせるだけで胸苦しくなる空気だ。
もしそこへ踏み込んで行くというならランスロットだろう。三人の中でいちばんナマエとジークフリートの関係を気にしているのはランスロットだから。そう、考えていたのに。
「意外だな。パーシヴァルは、何が気に入らないんだ」ランスロットが言った。
「お前たちはナマエが納得しているならそれでいいとでも言うつもりか。じゃあ仮にジークフリートがナマエを置いていったらどうするんだ」
飲み屋の喧騒が少し遠退いた気がした。パーシヴァルは本気で二人の関係を理解できないものとして憤っている。ランスロットはそんなふうに怒れない自分がおかしいのかと自身を疑ってみるもいまいちパーシヴァルの怒りを理解仕切れない。語られたナマエとジークフリートとの出会い。そこで交わされた約束。彼女が今日まで無事に生きてこられたという事実。その中で最も重要なのは当然、ナマエが今生きているということだ。
パーシヴァルはジークフリートとの約束のせいでナマエが自分でものを考えられなくなっていると言うけれど、それはおそらく間違っている。そもそもジークフリートと出会う前からナマエはそうなのだ。そこにジークフリートが現れただけの話で、ジークフリートが取引を持ちかけなければナマエは今頃どうなっていたかわかったものではない。ジークフリートはナマエに自立を促したりはしなかったのかも知れないが、それは果たして罪なのか。彼女には絶対的な命令が必要だった。しかし、命令は常に正しいものでなくてはならない。間違えば彼女は死ぬ。そんな状態でナマエの情緒まで育て上げろとはいくらなんでも無茶ではなかろうか。
「わたしに命令してくれるひとがいなくなって、わたしはどうしたらいいかわからなかった。帰りを待てと言われていたから家から出ることができなくて困っていたらジークさんが助けてくれた」ナマエの言葉は口調に似合わず重かった。
ランスロットもパーシヴァルも、そしてヴェインも気づいたが、おそらく元々ナマエに命令を下していた人物というのはジークフリートが始末したのだろう。子どもだった彼女は確かに助けられたのかも知れないけれども、ナマエの言っているそれとは意味合いが異なる。
「パーシヴァル。心配しなくても大丈夫だよ。わたし、ジークさんがいなくなっても生きていけるから。繰り返すけど今の仕事は好きでやってるの」
「いなくなってみないとわからないだろう」
「置いていかれたことならある。ジークさんはわたしに待っていろと言って出て行った」
パーシヴァルがいつのことだと問う。ナマエは淀みなく答えた。それは黒竜騎士団解体以来ジークフリートがフェードラッヘに戻きていた時期と重なっている。
「戻らないなら、もう待たない」そう言ってナマエは笑った。
分岐
私には父が三人いた。内ひとりは私に遺伝子を分け与え、残りのふたりは実父とその妻から私を奪い、養育し、穢れを与えた。
弓術も剣術もふたりの父から教わった。人を殺すための術だった。私は誰も殺したくなかったが、殺さなければ自分が死ぬ運命にあると、いちばん初めに、いちばん大事なことだと教えられたので従うほかなかった。とにかく死にたくなかったのだ。
おそらく私には人殺しの才能があった。まだ物心もついていない子どもの才能を感じ取れる能力など父らにはなかった筈だけれども、自分の置かれた状況をおおよそ理解できる年頃にはもう彼らを一息に殺せるだけの技量を身につけていた。しかし、私は自分のちからを十二分に理解した上でその後も人を殺し続けた。人を殺す以外にどう生きれば良いのか何も教わっていないことにそのとき初めて気づいたのである。
世界は狭くて、暗かった。誰かに手を引いてもらわなければとてもじゃないが歩けない。そんな場所はとても居心地が良いとは言い難かったが、少なくとも死ぬ心配だけはせずに済む。外に出て行くことなんて考えず、ばかなふりをして従順にしていれば、醜くとも生き続けることができた。
ある日留守を任された私は思考を放り捨て、三日もの間飲まず食わずで家に引き込もっていた。食事は父たちが用意してくれるものだったし、「言われたことだけをする」というルールを一度でも破れば世界にほころびが生まれてしまうと信じていたのである。いや、それもふりだったか。いわゆるまじないだ。
さすがにわかっていた。期限も告げずに出て行って三日も戻らないのは明らかにおかしい。ふたりは死んだ。そうでないなら私は捨てられたのだ、と。だから私は唯一勝手知ったる襤褸屋敷で緩やかに死んでいくか、外に出ることを選択しなければならないと理解はしていた。何も考えたくないのに。死にたくないだけなのに……。
夜になり、いつの間にか剣を突きつけられていた私はどうしてだか、そのときほんの少し安らいでいたように思う。きっと緩やかに死ぬのも、自分の意思で外に出て行くのも嫌だったからだろう。「穢れている。殺されるのも当然の報いだ」
いつぶりに発声したのかわからない始末だったので彼に届いたのかは定かでない。しかし、目の前の何者かは私の首を撥ねることなく剣を鞘に収めた。
「お前が必要だ」
「……私?」
「ああ」
「なぜ?」
「死にたくなければ聞く必要はないな」
「じゃあ……命令してくれればいい」
「面倒なことを言う」
「命令なら必ず守る」
「なら、命令だけを忠実に守れ」
ジークフリートと名乗ったその男に私は救われた。
彼は私の戦力と諜報力を買ったが、それ以上に彼自身が優れていた。はるかに私より強く洗練されていて、私は彼のサポートをしていればよかった。私はジークフリートと出会ってから何も殺さなくて済むようになった。私にやらせれば効率が良い場面でもジークフリートは私に命令しなかった。
ジークフリートが黒竜騎士団の団長になっても私を手放す気配がなかったのは意外だったが、その理由を考えたことはない。どんな思惑があろうと、私はジークフリートの想いに応えられないろくでもない人間だと自覚していたからだ。お前の養父を殺したのは自分だと告白された際に私たちの間にできた溝は存外深くて、いくら時間を経ても埋まる気がしなかった。
ジークフリートは私も殺すべきだったのだ。それだというのに殺すどころか衣食住の世話を焼き、知識を与え、私を守ってくれさえする。団長になったから頻繁には連絡を取れなくなると言って守刀を渡してきたジークフリートは相当な変わり者だろう。開かれた世界の中で、ようやく充分な比較対象を得たことによりそれは判明した。
助けた村人たちに化物と恐れられても、かつての弟子に罵倒されても、ジークフリートは平静を失わず、それどころか、彼のまとう空気は一層研ぎ澄まされていくようだった。フェードラッヘという国と人はジークフリートの与えなかったもので私をより確実に人間足らしめたと思う。
ジークフリートが国を追われることになった後のことだ。私は憐れみという感情を知り、初めてジークフリートから離れる選択を自ら願い出るかもしれないと思った。
それまで一度として離れていこうとする気配のなかったジークフリートから、私を置いていこうとする意思を感じ取ったのだ。実際、フェードラッヘ国内の情勢が悪化し、ジークフリートが国へ戻って行ったとき、私は理由を知らされないまま宿で待つように言われ置いてきぼりを食らった。そのときまで頑なに「命令されたこと以外はしない」というルールを守っていたが、そもそもジークフリートは私が命令なしでも動けることを知っているのだと悟り、私はその無意味なルールを破棄した。
ジークフリートが帰ってこない日もいつかはくるのかも知れない。そう思うと胸にすきま風が吹き込んでくるみたい。からだが冷えて感情が徐々に消えていく。
「ジークフリートには恋人がいないね」
「どうした? 急に」
「いろいろ落ち着いたし良い人がいたら考えてみてもいいんじゃないかと思って」
「それはナマエにも同じことが言えるじゃないか。もう自由の身だぞ」
「自由?ジークフリートから離れて良いなら、私はあなたに恋をしたいけど」
「そうか……一度は、手離そうと思ったんだがな。できなかった。離れることを許さないと言ったらナマエはどうする。他の男に恋をしながら、ずっと俺のそばにいてくれるのか」
「それがどんなに無意味な言葉か知っているのにどうしてそんなことを言うの?」
私が自由であることを理解しているならジークフリートが許そうと許すまいと関係ないことだ。だいたい、ジークフリートの意思など無視して彼の側にいることを誓っているなら髪など必要なかった。
私の髪もあげようか。笑って言うとジークフリートは眉をひそめた。
お互いを思い出にして生きていくというのもよいと思う。かかわりあうから執着せずにはいられず、愛すべきか憎むべきか悩まなければならないのだ。今ならすべてを捨ててやり直せる。ジークフリートもここから新しく始める方がきっと幸せになれるだろう。
「私はジークフリートが好き」
「それがお前の幸せか」
「自立するの」
「そうか」
予想していたとおり、ジークフリートは私の髪を欲しがらない。ふたりで山入端を縁取る赤い輝きを眺めながら手をつなぐ。もう一度訊ねてみてもその答えは変わらなかった。